【群馬県・産泰神社】関東一円の安産・子育ての信仰の場 「2024年度グッドデザイン賞」受賞

産泰神社

古代からの歴史を持つ群馬県前橋市の産泰神社(鯉登茂行宮司)は、各地にある産泰神社の総本社で、安産・子育ての神様である「木花佐久夜毘売命(コノハナサクヤヒメノミコト)」をご祭神として、何世代にも渡って、母親と子ども、その家族の幸せを祈ってきました。

今日でも安産祈願、お宮参り、七五三など、折々に触れて、子どもの泰(やす)らかな誕生や、健やかな成長を祈願するため、多くの参拝者が訪れています。

これからの時代の母子と家族により寄り添える神社になりたいとの思いを込めて、社紋を一新、授与品のデザインを刷新しました。ブランディングデザインは、そのパイオニアでもある株式会社エイトブランディングデザイン(西澤明洋社長)と協働しました。

これらの取組みが認められ、産泰神社は、公益財団法人日本デザイン振興会主催の「2024年度グッドデザイン賞」を受賞。神社の「ご祈祷」と「安産祈願」を中心に据えた、リブランディングが評価されました。

今回は、産泰神社禰宜の鯉登 敬紀(こいと たかのり)さんに神社の歴史や「2024年度グッドデザイン賞」について話をうかがいました。

産泰神社

禰宜 鯉登 敬紀さん

目次

関東一円の安産・子育ての守護神として信仰を集める

安産祈願のようす

――産泰神社さまの歴史から教えてください。

鯉登 敬紀さん(以下、鯉登さん)

前橋市の東部に、おだやかな田園地帯の小山に鎮座し、古くより神社名が示す通り安産・子育ての守護神として関東一円から参拝者が訪れる神社です。産泰神社は、群馬県、埼玉県北部、栃木県と広がり、当神社は、その総本社です。関東各地に産泰神社が広がった理由は諸説ありますが、当神社から各地に分祀されたと推察しています。

「産泰」とは、「泰(やす)らかに産み、育てる」ことを意味します。ご祭神は木花佐久夜毘売命(コノハナサクヤヒメノミコト)で安産・子育ての神として、また美しいお姿の女性の守護神です。

創建のいわれは、諸説ありますので一つずつ説明します。境内裏には、石山があり、13万年前の赤城山の「石山なだれ」により出現した誕生したといわれています。ここの周囲は平地にもかかわらず、巨石が密集し、原始古代から神様を祭るようになり、それが後の産泰神社へと発展した可能性があります。専門家の方の中には、これを巨石信仰という言葉で解説されている方がおります。

群馬県全体が赤城山や榛名山の土石流により、しだいに土地が形成された歴史があるとされ、この「石山なだれ」もその一環と専門の学者からうかがいました。

次に熊襲征討・東国征討を行ったとされる日本古代史上の伝説的英雄である日本武尊とかかわりがあるとの伝承があります。元々、群馬県には、多くの日本武尊伝承が残されています。日本武尊が東国を平定し、当地を訪れた際、ここを霊地と悟り、戦勝祈願をするために、あるいは別の時代である履中天皇の時代に勧請されたとも伝わっています。

産泰神社の社紋
鯉登さん

ただ、戦国時代では、神奈川県小田原に拠点を持つ北条氏がここまで攻めて来て、その関係で神社の史料も散逸し、社殿も燃え、一時は衰退します。

しかし、江戸時代以降、産泰神社は復興しました。前橋藩の歴代藩主から信仰を集め、藩主・酒井雅楽頭は産泰神社に奥方の安産を祈願し、見事念願成就すると社殿の造営や社領の寄進などが行われ、前橋藩の領内が治まるよう前橋城方向に替えたことも伝わっています。

最近、明治時代のはじめにこちらに立ち寄りお参りされた方の手記を読みましたが、周囲には神社以外建物らしきものがなく、退屈だったと書かれていました。ただ、産泰神社は建物が重厚で、平地で何もない所に大きな神社がしっかりと立っていることが書かれていましたので、当時から大きな建物であったことが想像でき、同じく地域の方々からの信仰を集めていたことが想像できました。

安産祈願のスポットに注目

安産抜けびしゃく

――安産祈願では3ヶ所のスポットがありますが。

鯉登さん

産泰神社では江戸時代以来、底の抜けた柄杓(ひしゃく)を奉納する信仰がありました。底の抜けた柄杓で水をくむと水がそのまま抜けてしまうように、楽にお産ができるよう願ったものです。

明治時代の写真を見ますととてもこの安産祈願の信仰は篤かったようで、社殿の一角にひしゃくの山が形成され、また社殿の土台がひしゃくで埋め尽くされていました。当時からお産が楽にできるようにと願っていたことがうかがえます。古地図を見ますと、産泰神社の周辺には、お土産屋やよろず屋もあり、安産抜けびしゃくを当時は販売していたとのことでした。

今は、産泰神社で安産祈願を受けられた方を対象に、安産抜けびしゃくをお渡しており、儀式を行っています。この儀式では、①お参りの初めに、右手で妊娠期間中の無事を祈り、水をくむ②次に、左手で無事出産を願い、水をくむ③最後に、右手で母子安泰を願い、水をくむの順番で行っていただいております。

鯉登さん

次に、安産・子育て戌(犬)です。ご存じのことと思いますが、戌は、多産でたくさんの子犬を一度に産み、さらに出産が軽いことから、「安産の守り神」とされています。

戌の日のお参りは、日本で古くから行われている安産祈願の風習です。そのため、安産と戌との関係はとても深いのです。特に産泰神社にとっては、戌の日はご妊婦様のお参りが多く特別な日です。

また、戌は邪気を祓い子どもを守ってくれると伝えられています。お参りの仕方は、妊婦の方の干支とお生まれになるお子さまの干支を、願いを込めてなでてください。

安産・子育て戌(犬)
鯉登さん

さらには、安産胎内くぐりがございます。本殿の裏に約13万年前に赤城山の「石山なだれ」により出現したといわれる磐座(いわくら)があり、原始古代から信仰の土地であったことが推測されます。ご妊婦の方がこの石の間をくぐることで、安産になると伝えられています。お参りの仕方は①石をくぐって右に回る②石をくぐって左に回る③中央で無事の出産をお祈りする順番になります。

安産胎内くぐり

本殿など多数の指定重要文化財や歴史的建造物が見どころ

――いくつか県の指定重要文化財もあるそうですね。

鯉登さん

産泰神社では、本殿、幣殿、拝殿、神門、神楽殿、金刀比羅宮(ことひらぐう)、境内地が群馬県指定重要文化財に指定されています。この中の神楽殿と金刀比羅宮が2023年8月に指定されたばかりで、江戸時代から続く歴史的建造物は、すべて県の重要文化財に指定されました。それでは資料をもとご説明します。

本殿
鯉登さん

産泰神社の主祭神の木花佐久夜毘売命を祀る宮殿を納める本殿は、各部材に細やかな彫刻が施され、さらに胴部分には、透彫の二十四孝の「老莱子」「唐婦人」、謡曲の「高砂」の彫刻があり、腰・軒下部分にも「唐子遊び」などの透彫彫刻が嵌め込まれ、往時の社殿建築の特徴を伝えています。彫刻は全て極彩色仕上です。建立は1763年(宝暦13年)。

幣殿
鯉登さん

次の幣殿(へいでん)は、本殿と拝殿の間にあります。幣帛(へいはく)※を捧げる幣殿は、建立年代は不明ですが、内部格天井の源氏物語を描いた絵師が拝殿※と同じことから、同時期のものと推定できます。両側面に透彫の鯉の滝登りの彫刻をはめ、柱上部の突き出た部材に波間の鯉が彫り出され、極彩色で彩られています。

※幣帛・・・祭祀において神々に対する祈願などのために奉られるもの。

鯉登さん

参拝の場である拝殿は、本殿から49年後の建立。正面の大きな茅葺(かやぶき)の形にならった唐破風(からはふ)屋根と大屋根、その下にある鳳凰(ほうおう)、龍に乗る仙人、獅子、象の彫刻、さらにその背面にある阿吽(あうん)の龍、波兎紋様(なみうさぎもんよう)などの極彩色の彫刻が参拝者を迎えています。また内部格天井には112枚の花鳥が描かれています。建立は、1812年(文化9年)。

※拝殿・・・神官が祭典を執行したり,参拝者が拝礼したりするための建物。
※唐破風屋根・・・頭部に丸みをつけて造形した破風の一種。唐と付くが中国江南以南で南宋時代の宮苑図に見られ、日本で広く発達した建築技法。

神門
鯉登さん

神門は社殿が整えられた21年後の建立。三手先(みてさき)※という組物で三段に軒を張り出し、大きく迫り出した、かつての茅葺の形を伝える大屋根を支え、手の込んだ唐草彫刻、獅子、牡丹、波頭紋と象、蜃、雲紋の彫刻が施されています。全体が素木造で江戸後期の特徴を伝えています。建立は1833年(天保4年)。

※三手先・・・柱から外方に斗 (ます) 組みが三段出ていて、三段目の斗で丸桁 (がぎょう) を支えるもの。

神楽殿(かぐらでん)
鯉登さん

神楽殿(かぐらでん)の彫刻は木鼻、虹梁、縁を支える持送板に唐草彫刻が見られますが控えめで、装飾化が進んでいない19世紀前の外観を表わしています。手摺付高床式舞台の後方は楽屋を備えるという県内でも稀少な造りの奉納額は、1764年(明和元年)と長い歴史を持っています。

金刀比羅宮
鯉登さん

金刀比羅宮は、造りは小振りですが、木鼻の獅子と象、正面向拝柱をつなぐ水引虹梁の唐草彫刻、その上の龍の丸彫彫刻等に手を掛け、さらに柱間上部には透彫の「琴高」「黄安」「通玄」などの儒教の仙人の彫刻が社殿を飾っています。拝殿と同じ大工棟梁矢崎久右衛門(元形)が手掛け、建立は1810年(文化7年)です。

広い敷地にわたる境内地
鯉登さん

境内地(けいだいち)は、これまでご紹介したように、本殿・幣殿・拝殿・神門をはじめ、磐座(いわくら)・金刀比羅宮・神楽殿などがあり、境内地全体が県の文化財指定を受けています。

「2024年度グッドデザイン賞」を受賞

願いを込めた紋様として描くことで、人の目を気にすることなく身につけやすいデザインになっています。(参照1※)

――いずれも素晴らしい歴史的建造物ですね。群馬県の歴史とともに、産泰神社が歩んできたことがよくわかりました。最近では、ブランディングに着手にも着手されているとうかがっています。

鯉登さん

産泰神社は2022年よりブランディングに着手し、神社がより身近な存在として感じてもらえるよう、安産祈願にまつわる知識やお参りに役立つ情報、神社・神道のしきたりや作法をわかりやすく解説する「このはな手帖」を連載しています。これらの情報は公式サイトやSNSでも積極的に発信しています。今後は、近隣との連携をより深め、様々なイベントを開催予定です。

重要な安産祈願の授与品では、「産」の字をかたどった「安産祈願紋」を特別にあしらうことで、産泰神社において特別な祈祷であることを表している
鯉登さん

これからの時代の母子とご家族により寄り添える神社になりたいとの思いを込めて社紋を一新し、2023年春には授与品のデザインを刷新しました。特に、妊婦の方やその家族をはじめ、大切な人を思うすべての人々に向け、柔らかく美しいデザインと神社らしい荘厳さを両立させた点が特徴です。ブランディングデザインは、そのパイオニアでもある株式会社エイトブランディングデザイン(西澤明洋社長)と協働しました。

産泰神社は女性の方やお子さんが多い神社ですので、その方々が持ちやすいように少し小さめで正方形のお守りをデザインしました。もう一つのこだわりではお守りは、通常、「厄除け」「安産祈願」と文字で書かれていますが、「安産祈願」は現在、ナイーブな点と受け止める方もいます。デザイナーの方にその話を伝え、デザインの力を借りて願意を示してはいかがでしょうかとのご意見をいただき、お写真で示したようなデザイン(参照1※)としました。

安産と子育てを見守る、はりこ戌のデザインは、伝統的なはりこの型を用いながらも、産泰神社独自の印象的な絵付けを施している。
鯉登さん

デザインにあたっては、主祭神である木花佐久夜毘売命を象徴する社紋を各所に配置し、神社全体に統一感をもたせました。また、授与品は、伝統的な意味を踏まえつつ、現代の価値観やライフスタイルに合ったデザインとしました。

絵馬をはじめ、産泰神社の社紋や安産祈願紋を授与品にあしらうことで神社全体の統一感をもたせている

――ところで、産泰神社が、公益財団法人日本デザイン振興会主催の「2024年度グッドデザイン賞」を受賞されたことは大きなニュースでした。

鯉登さん

今、申し上げた点が評価され、「2024年度グッドデザイン賞」を受賞しました。審査員からは、「神社が減り、日本の人口も減少し、神社離れが進むなか、神社のリブランディングの事例が増えている。そのなかでこの産泰神社は全体設計がとてもよくできている。妊婦や女性のために細部まで考えられた、お守りなどの授与品は、何度も通って集めたくなる。神社の価値として不変なところと、今のユーザーにあわせて変えるべきところを深く検討して、細部まで丁寧につくられたデザイン」とのコメントをいただきました。

境内の看板やお神札に書かれた文字は、木花佐久夜毘売命をイメージした産泰神社独自の書体
鯉登さん

また、審査委員一人ひとりが個人的なお気に入りや注目した受賞デザインを選ぶグッドデザイン賞審査委員セレクションにて、建築史家の倉方俊輔氏の一品に選ばれました。

倉方氏は、「手にすることで、ご利益がある。そう感じさせるのは、言葉を超えた、デザインの力だ。そんな私たちの歴史と身体に受け継がれてきたエッセンスを整理することで、持っていたくなるものが生まれている。良いものは、頭を介さず、心に響き、身体のリズムを内側から整えるに違いない」とコメントされました。

私としても1,500点以上のグッドデザイン賞の中から、倉方審査委員から一品に選ばれたことは大変光栄なことと思っています。

――話は変わりますが、鯉登姓はとても珍しい名字だと思いました。

鯉登さん

元々の名字は小糸姓でした。研究者によると出身は、小田原や千葉の小糸川と諸説あります。これは私の祖父に聞いた話ですが、江戸時代の宮司が「鯉」が川を「登」る夢を見て、読み方を変えず「鯉登」と改称したと伝わっています。実際、当神社周辺には鯉登姓は一定数存在し、元をたどると親戚筋と想像しています。別の場所に住まわれている方で、鯉登姓の方とお会いした方にうかがってみると、おおもとの出身は当神社周辺の方でした。

――こちらも別の話で恐縮ですが、鯉登さんは何故、神職につとめることとなったのでしょうか。

鯉登さん

自分は宮司の息子に生まれたので、いつかは神社を継ぐ意識はしだいに芽生えていました。一度、一般の大学、大学院を卒業した後、神職の資格取得のため國學院大學神道學専攻科入学。2016年より神奈川県の寒川神社に奉職、2021年より群馬県前橋市の産泰神社に奉職しました。

――色々と本を読むと神職をつとめる難しさもあるように思いました。

鯉登さん

確かに難しいです。神社の規模にもよりますが、神職も学校の教師をつとめる中で兼業でおつとめをされる方、ご高齢になってから、地域の神社を守るために資格を取得される方もいて本当にさまざまです。

理想では、専業の神職の方が増えていって、神社を残すためにさまざまな活動をされることで、私も専業の神職としてその理想に沿って活動していきたいです。

――最後に今後の方針を。

鯉登さん

産泰神社は安産祈願、子育てという特別な信仰の神社です。ややおおげさに受け止められるかもしれませんが、神社は今の時代に世の中に何を還元できるかが大きなテーマです。今、出生率が低下している中で、幸せなお気持ちで赤ちゃんを泰(やす)らかに産んでいただき、大切なお子さんを育てられて欲しいと願っています。

お宮参りや七五三で神社を訪れている方は、丁寧に子育てと向き合わられている方だと思うのです。産泰神社としても一人でも多くの安産や子育てに向き合っていくことが神社の使命だと考えています。

施設概要

神社名産泰神社
住所群馬県前橋市下大屋町569番地
代表者名 (宮司) 鯉登 茂行
公式HPhttps://www.santai-jinja.jp/
公式Facebookhttps://www.facebook.com/santaijinja/
公式Xhttps://x.com/santaijinja
公式Instagramhttps://www.instagram.com/santaijinja_official/
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

目次