山口県山口市の中心部に位置し、交通アクセスに便利な立地の湯田温泉。最も高い温度は74℃で1日あたり、6つの源泉から約2,000トンものお湯をくみ上げていますが、これは山陽随一の湯量です。
山口市の歴史では、守護大名から戦国大名へと台頭した大内義隆は明や朝鮮との東アジア各国との海外貿易を積極的に行い、収益も確保することでこの地域は大いに栄えました。また、歴代大内氏による山口の街づくりにより、「西の京」とも称されるほどでした、その歴史の足跡や体験されたい方も増えているとのことです。
今回は、湯田温泉旅館協同組合事務局長の吉本康治氏に湯田温泉や山口市の魅力について話をうかがいました。
6つの源泉から約2000トンものお湯をくみ上げる

――まず湯田温泉のご紹介からお願いします。

湯田温泉の場所は、山口県山口市に位置し、交通アクセスに便利な立地です。市内にあるため、観光客だけではなく、ビジネス客も多数訪れる温泉地です。
泉質はアルカリ性単純泉で、俗にいう「美肌の湯」。肌へのなじみが良く、湯上がりすると、お肌がツルツルとした質感になるのが特徴です。温泉で硫黄臭がする、硫黄分が多いことはなく、温泉の中でも特定成分が強くありません。
湧出している温泉の中で最も高い温度は74℃。ここの地域は温泉保護区で、私どもが使用している泉源は6つあり、それぞれの泉源でお湯をくみ上げる許可溶湯量が条例により決められているため、その範囲の中でくみ上げをしています。
1日あたり、6つの源泉から約2000トンものお湯をくみ上げていますが、これは山陽随一の湯量です。温泉には火山性と非火山性の2種類があり、湯田温泉は非火山性の温泉ですが、非火山性で74℃の高温のお湯が出るのは世界的に見ても稀なケースです。
湯冷めせず、湯あたりしない効果の秘密は!?


――どのような効能があるんでしょうか。



温泉を研究されている学識経験者の話によりますと、よく効くものは副作用も当然あるとのことで、湯田温泉のように成分が突出しない温泉は、何回入浴しても湯あたりがしないとの評価です。
湯田温泉は山の中にあるにもかかわらず、湯に塩分が含んでいるのです。この塩分が湯冷めをしない効果があるといわれています。地元大学のある先生に、「この塩はどこから来ているのでしょうか」とうかがったことがあります。正直、瀬戸内海を想定していましたが、その先生は、はるかかなたの四国沖、つまり太平洋からこの塩は来ているんだよと示唆を受けました。
山口市内には河川があり、室町時代あたりではその川沿いで自然に温泉が湧き出ていたのです。ですから少し井戸を掘ると水よりもお湯が出ていた土地柄です。ただし昭和30年代以降、浅い泉源が枯れはじめたことから、湯田温泉配給協同組合を設置。土地をボーリングし、最も深く掘った地域ですと500mでそこから74℃の温泉が湧いているのです。
この地域周辺には断層があり、地下水が溜まり、地熱で温められてお湯になっていることが湯量の豊富さにつながります。特徴をまとめると、湯量が豊富、温度が高い点にあります。各旅館さんへの配当は、集中管理方式を採用。6つの泉源からのお湯を一つのタンクに集約し、そこから各旅館さんに、配湯管を通して、配布しています。
ただ、雨が適量に降る山口市内には一級河川がありません。つまりこの雨はほぼ地下に染み込んで、伏流水になります。ありがたいことに山口市は、雨が少々降らなくても、井戸が枯れることはほぼありません。こうした事情もあって湯量が豊富なのではないかといわれています。
体験コーナーを企画し、交流人口を増やす取組みも





使用されなかったお湯については一周回って私どものタンクに戻ってくる仕組みです。お湯の温度が高いことは、昨今はやりのSDGsに則っており、また、一度は各旅館さんに配当されたお湯が使用されなかった場合、私どものタンクに戻る方式は無駄なく、利用している点にあります。
――湯田温泉旅館協同組合さまはどのような役割を果たされているのでしょうか。



湯田温泉で営業されている旅館さんが集まり、相互扶助・共同福祉を目的に、1958年(昭和33年)5月に設立。昔は、小さな旅館さんが多く、歯ブラシのようなものも組合で一括して仕入れる方が安く入手できた時代もあり、共同購買の役割も担っていたのですが、現在は、ネット通販が普及していますから、この役割は小さくなりました。
そこで私どもでは、山口市を含む湯田温泉でどうすれば、交流人口が増えるかを検討。交流人口も増えれば、旅館さんに宿泊される方も増えますから、山口市などの行政の協力を得ながら、さまざまな取組みを展開中です。
湯田温泉を拠点とし、山口県観光するツアーも


──交流人口を増やすための取組みを教えてください。



湯田温泉は、山口県の宇部空港からクルマを走らせれば30分、山陽新幹線の新山口駅からは20分で到着。このアクセスの利便性に加えて、山口県のほかの名所・史跡が豊富な岩国市や下関市まではクルマで60~70分でカバーできます。
この利便性を活かし、湯田温泉にご宿泊いただいて、ここを拠点にし、萩市、岩国市、下関市に行きませんかと提案しています。ある旅行社では湯田温泉に5連泊されるツアーを催行。今年はすでに8本を行い、残りの2本も年内に催行予定です。
連泊されるツアーを仕掛けるには、やはり体験型ツアーが肝要ですね。湯田温泉を1日観光してそれから次の観光地に行くのではなく、さらに留まるとこのような体験ができますと体験プランをさまざま提案しています。
──この体験企画の内容の一部はどのようなものがありますか。



室町時代の大内氏※時代から現在に続く山口市の伝統工芸に「大内塗」※があります。それをご自身で絵付け体験され、箸をつくることができます。同じく大内時代からの伝統ある「徳地和紙」※の手すき体験され、あるいはこの徳地和紙を使い、いろいろなものをつくる体験もできます。


※大内氏・・・周防(現山口県)・長門(現山口県)、石見(現島根県)、豊前(現福岡県東部・現大分県北西部)、筑前(現福岡県)各国の守護職に補任されたほか、最盛期の大内義隆公の代には山陽・山陰と北九州の6か国を実効支配した。百済の聖明王の第3王子である琳聖太子の末裔と称し、明、朝鮮、琉球との貿易を活発に行い、富を蓄えた。
※大内塗・・・山口市に伝えられる伝統工芸品。朱色の漆を施し、雲形の中に大内菱を金箔で配し、秋の草花を添えて描く点を特徴としている。1989年(平成元年)に伝統的工芸品としての指定を受けた。


※徳地和紙・・・鎌倉時代初期、俊乗坊重源上人により山口に伝えられたとされる。大内氏の時代には大変質の高い紙が生産され、「得地紙」と呼ばれて重宝された。





さらには市内から30分ほどクルマを走らせると、全国ではじめて森林セラピー基地として認定された「徳地森林セラピー基地」がございます。
山口県山口市は、大内時代から栄え、歴史のある街です。さまざまな史跡・名所を探っていくと山口市ならではの体験ができることでしょう。歴史ある山口市にご関心を寄せ、注目していただくためのしかけを行っています。





また、果物も豊富です。果樹園で、なし、りんご、いちご、みかん狩りもできますので、この点もクローズアップし、「山口は一日では回り切れないよね」などと体験プランを順次作成中です。
──そういえば大内氏は外国との貿易で大きく栄えたそうですね。



大内義隆の時代は「西の京」と称されていました。市内を流れる一の坂川を鴨川に見立てて、四獣神が護る理想の地を、「四神相応の地」と呼びますが、風水での街づくりを行っていました。
「応仁の乱」は京都が大変荒れ果ててしまい、当時の公家や文人たちは山口に避難してきました。一説には当時の山口は、大いに栄え、京都の人口に匹敵していたとのことです。
また、水墨画で有名な雪舟も長く滞在し、スペインからキリスト教を日本に布教しようとフランシスコ・ザビエルも山口で腰を落ち着け、布教活動につとめますが、日本で最初にクリスマスのミサを開いたのはここ山口でした。
歴史的史実をもとに「灯り」や「音楽」、「美術・舞台」、「食」、その他のイベントを開催。市でも12月は山口市から「クリスマス市」へとなり、街はクリスマス一色に染まります。
第9代大内弘世が京の都を模倣し街づくりを行ったのを発端に、東アジアでの貿易で確保した収益をもとに、文化人や公家を庇護し、京都文化、大陸文化、さらには一部ヨーロッパ文化も流入するなど、独自の大内文化(山口文化)を形成し、歴史的史料も数多く残っているのです。
白狐が温泉を見つけたことから始まった


──湯田温泉の歴史を教えてください。



湯田温泉の歴史には諸説あり、その中でも有名な話が「白狐伝説」。村のお寺の小さな池に、ケガをした一匹の白狐が毎晩傷ついた足をつけにやって来ていました。
不思議に思った和尚さんが、白狐がつけていた池の水をすくってみると、なんとほんのり温かい。さらに深く掘ると、大量の湯がこんこんと湧き出てきたのです。土の中からは同時に薬師如来※の金像が現れ、喜んだ和尚さんは池を屋根で覆い、傍らに仏堂を建てて薬師如来を安置し、湯田温泉を守る仏としました。これが湯田温泉の開湯伝説です。
※温泉と薬師如来・・・温泉には全国的に薬師如来が祀られている。これは、温泉の湯治効果と薬師如来の信仰が全国的に重なっている。
白装束で身体を包み、白狐のお面を被る「白狐まつり」


──その白狐にちなんで、毎年「湯田温泉白狐まつり」を開いていますね。



先の大戦では山口市は空襲を受けず被災はしていなかったのですが、戦後しばらくは暗い時代でした。1949年(昭和24年)に湯田温泉の芸子さんたちが地元の方々を励ます意図で、踊りを披露したのがはじまりとされています。
それが年を追うごとに白狐伝説と結び付けて、現在の「湯田温泉白狐まつり」に至っています。近年、白狐の松明行列では小学生から大人まで白い装束を着て、白狐のお面を被り、松明を持ち、みなで行列します。
そんな年中行事でしたが今度は10年ほど前に、結婚式も挙行しようという話が持ち上がりました。新郎新婦はできるだけ湯田温泉にゆかりのある方の中から公募するのですが、人力車に乗っていただき、先頭に仲人が立ち、さらにその後に白狐の松明行列が続くことに変化しました。
湯田温泉街の中に明治維新の功労者である井上馨(かおる)の生家跡地の井上公園の中にこの日だけ特別に「湯田温泉神社」を設け、神前結婚式を行います。
まつりの2日目は、湯田の温泉をみなでかけあう「ぶっかけまつり」も行います。今年で2年目ですがこちらも好評です。
明治維新の志士たちが集い、密談した場「松田屋」


──話は変わりますがこちらには、明治維新の志士たちが集い、密談をされたお宿さんがあるとのことですが。



山口県は長州藩であり、明治維新で大きな役割を果たしました。湯田温泉の松田家という旅館の創業は、1675年で350年ほどの歴史があり、たまたま当時の毛利藩主・毛利 敬親が湯田温泉に殿湯という専用のお風呂場を持っていました。
毛利藩の城は、日本海側の萩市にあり、兵を動かすにも利便性が悪く、敬親が湯治に行くとの名目で、家来を引き連れて湯田温泉に移動しました。実際、徳川幕府への届けでは「湯田温泉に湯治に行きます」であり、湯田温泉こそが明治維新の策源地となり、明治維新の作戦を考え、それを全国に展開した根拠地になったのです。
松田家には小さな小屋があり、長州の木戸孝允、薩摩藩の西郷隆盛、大久保利通の3名が薩長同盟の具体的協議の場となった集会所がまだ残っているんです。ほか、高杉晋作が玄関横の楓の幹に、「盡国家之秋在焉」(国家に盡すのときなり)との文字を刻んでいます。
──山口でのグルメやお土産について教えてください。



湯田温泉は内陸にあり、また県自体が三方の海に囲まれていますから、三方の海の幸を楽しめます。魚、肉、野菜、地酒など多彩な山口グルメを楽しめる地域ですが、少し変わったところでは、「山口外郎(ういろう)」があります。
山口外郎の特徴は、原料に「わらび粉」を使用しているので、弾力がありプリプリ感があり、外郎といいつつも名古屋や小田原とは別物です。ここは米粉よりもわらび粉がふんだんにあったからわらび粉を使用するようになったとの説があるほどです。
開業が待ち遠しい「湯田温泉こんこんパーク」


──「湯田温泉こんこんパーク」もそろそろ開設を迎え、お忙しいことと思いますが。



通称「湯田温泉こんこんパーク」とは、狐と来て欲しいことを掛け合わしています。私ども湯田温泉旅館協同組合と山口市内のイベント会社の組合が共同事業体をつくり、指定管理者を受けることになりました。
ここは1,000名収容できる大屋根広場があり、もちろん中には温浴施設もございます。会議で利用できる足湯をつくるなどいろいろと特徴のある施設とし、2025年春開業目指しております。グランドオープンは駐車場が完成する2025年秋ごろを予定しています。
大屋根広場ではさまざまなイベントが出来るようになっており、市民の方がご活用されることも大切ですが、我々も指定管理を受けている以上、ある程度、営利目的でイベントをしかけなければなりませんから、具体的なイベント内容について共同事業体の中で検討中です。
お風呂は朝6時から開くことにしています。たとえばの話ですが、東京や大阪からナイトバスを使い、出張で山口に朝ご到着された方がビジネスに行かれる前にひと風呂を浴びることもできます。あるいは朝市を開くことで地元の食材にご興味を抱かれ、実際にご購入される方もいらっしゃるでしょう。「湯田温泉こんこんパーク」や湯田温泉の交流人口を増やすための案を検討し、開業後さまざまな案を実行に移したいと思います。
施設概要
名称 | 湯田温泉旅館協同組合 |
住所 | 〒753-0056 山口県山口市湯田温泉6-6-53 |
TEL | 083-920-3000 |
FAX | 083-920-3003 |
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