【大分県・臼杵市】国宝の臼杵石仏、江戸時代の名残を残す城下町、絶品のふぐなど注目が集まる

臼杵市は、大分県の南東部に位置し、大分市に隣接し、人口は、約3万2,000人を有し、海や山、森や草原など、豊かな自然に恵まれています。国宝の臼杵石仏、臼杵城跡の城下町など歴史・文化で魅力あふれる地域です。

「ふぐの里」としても知られ、酒・味噌・醤油の醸造業も盛んです。ふるさと納税返礼品では、ふぐ、独特のみそ・醤油、豊かな味わいのお肉、こだわりの日本酒などが人気です。

今回は、臼杵市 産業観光課の石原侑祐氏に話をうかがいました。

臼杵市 産業観光課

石原 侑祐氏

目次

国宝の臼杵石仏、キリシタン文化、城下町の名残の街並み・・・

キリシタン大名として有名な大友 宗麟公の居城だった臼杵城跡

――臼杵市の歴史と魅力から教えてください。

石原 侑祐氏(以下、石原氏)

臼杵市には多くの歴史文化に囲まれ、多くの魅力にあふれています。歴史的遺産も多く、国宝の臼杵石仏、キリシタン文化、江戸時代の町並みが残る城下町は歴史好きの方には必見です。大分県臼杵市は、戦国時代にキリシタン大名・大友宗麟公が本拠地としたことで知られ、南蛮貿易が盛んだった港町でもありました。食文化も特徴的で、「黄飯」や「きらすまめし」など独自の郷土料理が伝わっています。また、清流で豊かな湧水を利用した酒・味噌・醤油の醸造業が盛んで、臼杵市はユネスコ食文化創造都市にも認定されています。

臼杵市 最大のシンボル 国宝「臼杵石仏」

臼杵石仏の内61体が国宝指定

――それでは臼杵石仏や臼杵城跡など、個別の観光スポットについて。

石原氏

第1に、国宝臼杵石仏。臼杵市の最大のシンボルであり、磨崖仏としては全国で唯一の国宝です。穏やかで神秘的な表情をたたえる仏像群は、見る者に深い感動を与えます。仏像が刻まれた岩肌は、長い年月を経た今もなお、その威厳を保っています。

臼杵石仏は、平安時代後期から鎌倉時代にかけて彫刻されたとされています。規模と、数量、さらには彫刻の質の高さでは、日本を代表する石仏群。1995(平成7)年6月には、磨崖仏では全国初、彫刻では九州初の国宝に指定されました。現在では、臼杵石仏のうち61体が国宝指定を受けています。

幾多の歴史を積み重ね今は市民の憩いの場になった臼杵城跡

2025年3月には国の史跡に指定された臼杵城跡
石原氏

第2に臼杵城跡を中心に広がり、江戸時代の城下町を今に伝える風情が残っています。臼杵城は、戦国大名の大友宗麟公※により築かれ、江戸時代は稲葉家が治める臼杵藩五万石の城として幾多の歴史を積み重ね、臼杵城跡は2025年3月には国の史跡に指定されました。

大友宗麟公・・・鎌倉時代から続く名族「大友氏」の最盛期を築いた戦国大名。海外貿易も行い、豊かな経済力を得て、一時は、北九州6ヶ国を支配する。1578 (天正6)年には、かねてより関心を深めていたキリスト教に改宗。「ドン・フランシスコ」の洗礼名を拝受する。

シーズンには臼杵公園で桜祭りが開催され、多くの観光客が集まる

臼杵公園は、例年3月末から4月初旬に桜祭りを開催。県南1の規模とされる
石原氏

本丸、二の丸は公園地に指定され、現在は2つの櫓と書院の庭園の一部、石垣などを残し、臼杵公園として市民の憩いの場となり、春はサクラの名所、公園内の散策路は、季節ごとの美しい風景を楽しみながら歩くことができ、春には桜、秋には紅葉が見事に色づきます。臼杵公園は、歴史と自然が調和した、穏やかな空気が漂う場所です。

この臼杵公園は、大分県南一の桜の名所で多くの桜の木があり、開花にあわせて行われる桜祭り期間中にはさまざまなイベントを開催。2025年は、3月28日から4月6日の期間に行いました。祭り期間中にはライトアップされます。ちなみに日本の歴史公園100選に選ばれています。

江戸時代にタイムスリップ!? 「二王座歴史の道」

城下町の名残を残す「二王座歴史の道」
石原氏

城下町の雰囲気を残す、「二王座歴史の道」には、白壁の土蔵や武家屋敷が立ち並び、タイムスリップしたかのような気分を味わえます。特に旧真光寺の前は「切り通し」と呼ばれる場所があり、ここは臼杵を代表する景観のひとつで、雨が降った後の濡れた石畳は雰囲気があり、1993(平成5)年11月には、国の都市景観100選にも選ばれているのです。

キリシタン文化の痕跡を残す墓が現存

キリシタンの墓(十字架が信仰を深さを示している)
石原氏

第3にキリシタン文化。宗麟公の城下町として栄えた臼杵には、当時のキリシタン文化の痕跡が今も残っています。宗麟公の功績を伝える資料館や、搔懐キリシタン墓(県指定史跡)など宗麟公のキリシタン文化が、歴史好きにはたまらないスポットです。

臼杵城跡にある大友 宗麟公のレリーフ(臼杵市のキリシタン文化の形成に大きな役割を果たす
石原氏

宗麟公が政務を行っていた時代の臼杵は、九州の中心都市としての役割を果たし、明やポルトガルとの交易が行われた国際都市でした。今も残る唐人町には多くの外国人が住んでいたとされ、キリスト教布教の場として教会や修練所(ノビシャド)などが築かれ、西洋文化と東洋文化が交わっていた国際都市を形成していたのです。

自然な海の幸の宝庫と緑豊かな山々が広がる

臼杵湾の夜明けは自然の魅力を示している
石原氏

第4は、自然の魅力です。豊後水道に面した臼杵市は、新鮮な海の幸の宝庫です。また、内陸部には緑豊かな山々が広がり、季節ごとに美しい景色を見せてくれます。

江戸時代の三重塔が残る龍原寺

石原氏

第5は、龍原寺の三重塔。九州に2つしかない江戸時代に建立された木造の三重塔です。
臼杵が生んだ名匠の高橋団内※が古い塔の長所をとり入れた理想的な三重塔の図面を引き、それを基に弟子の坂本荘右衛門が監督し、建物を完成。工事は、1848 (嘉永元年)年から10年の歳月をかけて行われ、1858 (安政5) 年に竣工しました。総高21.8mです。内部には、聖徳太子の像が安置されているため、太子塔ともいわれています。

高橋団内・・・諸国を遊学してはいろいろの塔婆を研究した。江戸末期の様式とは思われない点もあり、細部に優れた技術の見られる極めて重要な木造建造物として三重塔は評価されている。

龍原寺の三重塔

臼杵磨崖仏公園に咲く蓮の花

蓮の花は幻想的な美を表現している
石原氏

第6は、臼杵石仏の眼下にある臼杵磨崖仏公園では、夏になると一面に蓮の花が咲き誇ります。
早朝に咲く蓮の花は、幻想的な美しさで訪れる人々を魅了します。

臼杵は、「ふぐの里」 ふるさと納税の返礼品でも人気に

臼杵のふぐの刺身

――臼杵市のグルメについても教えてください。

石原氏

臼杵は「ふぐの里」として知られ、一年を通して美味しいふぐ料理を堪能できます。豊後水道の荒波で育ったふぐは、身が引き締まり、格別の美味しさです。新鮮なふぐは薄く引くことができないため、少し厚めに切られた刺身は、新鮮さの証でもあります。市内には、一年中ふぐ料理を楽しめる専門店が多数あります。

石原氏

次に江戸時代の倹約令から生まれた、質素ながらも工夫が凝らされた郷土料理が今も受け継がれています。「黄飯」 (おうはん) ※や黄飯かやくは、クチナシの実で炊いた鮮やかな黄色の炊き込みご飯「黄飯」と、白身魚や野菜を煮込んだけんちん汁のような「かやく」を一緒にいただきます。

「きらすまめし」※は、魚の切れ端とおからを、醤油や三杯酢で和えた料理。「きらす」はおから、「まめし」はまぶすという意味の方言から名付けられました。

黄飯と黄飯かやく

黄飯・・・臼杵藩の殿様が、贅沢な赤飯の代わりにつくらせ、家来にも振る舞ったのが「黄飯」と「黄飯かやく」のはじまりといわれる。また一説では、キリシタン大名だった大友宗麟公が南蛮貿易をおこなっていたことから、スペインのパエリアを模したのではないかともいわれている。「黄飯」には、エソなどの白身魚や野菜、豆腐などを煮こんだ「かやく」もそえられる。(参考:農林水産省「うちの郷土料理」)

きらすまめし

きらすまめし・・・残り物の刺身や魚をおろしたあとの中落ちを、大豆の搾りかすであるおからをまぶしてかさ増しをしたもの。倹約料理でありながら、栄養豊富で庶民に愛された。

旧藩時代、山間部から訪れた商人や年貢納めの人たちにとって、「きらすまめし」を食べるのが最大の楽しみだったといわれていた。(参考:農林水産省「うちの郷土料理」)

石原氏

次に、先ほど紹介した臼杵石仏の眼下の石仏公園では、夏に蓮が咲き誇ります。夏季限定で、蓮の根、花、実、茎、葉を使った様々な創作の蓮料理が楽しめ、地元の旬な有機野菜もふんだんに使われています。

太刀魚の名産地である臼杵では「たち重」が人気に

「かぼすブリ」
石原氏

海産物では、ふぐのほか、「かぼすブリ」 「タチウオ」 「カマガリ」などがあります。かぼすブリは、大分県の特産品であるカボスを餌に加えて育てられたブランド魚。カボスの効果で、脂がのっていながらも、さっぱりとした風味が特徴です。

「うな重」!? いや「たち重」です。
石原氏

臼杵では、タチウオの一本釣り漁が盛んで、脂がのり、身が引き締まっていると評判です。「たち重」を提供する店も人気です。カマガリは、標準和名 「クログチ」という魚で、「ご飯を釜ごと借りて食べなければならないほど美味しい」という逸話から名付けられました。

醤油・味噌の醸造所が立ち並び、芳醇な香りが漂う

フンドーキン醤油(味噌工場、醤油工場、ドレッシング工場があり、醤油工場には、世界一大きな木樽がある)
石原氏

臼杵市は発酵のまちでもあります。老舗の味噌・醤油の醸造所が立ち並び、街を歩くと芳醇な香りが漂い、醸造所巡りや、地元の発酵食品を使った料理も楽しめます。ほかにも生姜の風味が効いた伝統的な臼杵せんべいが人気です。

臼杵せんべい
石原氏

小麦粉、砂糖、鶏卵、膨張剤を混ぜた生地に、臼杵特産の生姜と砂糖を混ぜた蜜を塗って焼き上げています。生姜の搾り汁と砂糖を煮詰めた蜜を刷毛で手塗りして作られており、独特の生姜の風味と甘さが楽しめます。

石原氏

臼杵市には、歴史を感じる古民家を改装したカフェや、地元の食材を使った料理を提供するレストランも多く、観光と合わせて様々なグルメを堪能することができます。

カニ醤油鑰屋(八町大路にある九州で最も古いといわれる老舗。社屋内の工場は、麹造りなどの作業風景を窓越しに見ることができる)
石原氏

返礼品についてもご紹介いたしますのでもしご興味があれば各サイトをクリックしてみてください。

・さとふる
https://www.satofull.jp/city-usuki-oita/
・楽天ふるさと納税
https://www.rakuten.ne.jp/gold/f442062-usuki/
・ふるなび
https://furunavi.jp/Municipal/Product/Search?municipalid=1620

幻の臼杵焼復活 陶芸・金継体験も可能

臼杵焼も体験

――体験コーナーはいかがですか。

石原氏

陶芸では、臼杵焼体験ができます。臼杵焼は、かつて臼杵でつくられた焼き物です。江戸時代後期に数年間だけ作られた「幻の焼き物」として知られ、2015年に陶芸家によって復興されました。

磁器の臼杵焼は「末広焼」「皿山焼」とも呼ばれ、縁に輪花をあしらい、薄手で白く澄んだ色が特徴です。主に普段使いの食器や茶碗、急須などが作られていました。しかし、この窯はわずか数年で閉じられ、臼杵焼は一度途絶えてしまいました。

2015年に、臼杵出身の陶芸家である宇佐美裕之氏と薬師寺和夫氏によって臼杵焼は復活。特に、白磁に輪花をあしらった「白磁輪花シリーズ」を中心に制作しており、洗練されていながらも温かみのあるデザインが特徴です。

臼杵焼の体験は「USUKIYAKI うすき皿山 (臼杵焼 atelier SARAYAMA)」で行うことができます。「USUKIYAKI うすき皿山」は「作る・見る・使う」が一度に体験できる施設です。

後藤製菓で臼杵せんべいの手塗り体験

せんべい手塗り体験・工場見学ができる後藤製菓

――臼杵せんべいの手塗り体験もできるそうですね。

石原氏

臼杵せんべいは、先ほども説明したように江戸時代に参勤交代の携行食として生まれた大分県の伝統銘菓といわれています。手塗り体験では、この伝統的な工程をご自身で行うことができます。場所は、臼杵石仏の駐車場に隣接した場所に、臼杵せんべいの後藤製菓があり、せんぺい工場の見学やせんべいづくり体験ができます。

体験では、熟練のスタッフから手塗りの方法を指導されます。生姜糖を塗る作業は意外と難しく、コツが必要ですが、スタッフが丁寧に教えてくれますから安心です。ご自身で手塗りしたせんべいは、その場で試食したり、お土産として持ち帰ることが可能です。製品として売られている臼杵せんべいは、手塗りの後さらに一晩乾燥させるため、食感の違いを楽しむことができます。

後藤製菓では、自宅で臼杵煎餅の手塗り体験ができるキットも販売しています。このキットには、素焼きの煎餅と生姜糖が入っており、耐熱容器、水、電子レンジがあれば簡単に楽しめます。詳しい作り方は動画でも確認できます。

「臼杵祇園まつり」「うすき竹宵」などのイベントも

臼杵祇園まつりのもよう

――イベントどのようなものがありますか。

石原氏

「臼杵祇園まつり」「うすき竹宵」を開催します。臼杵祇園まつりは、八坂神社で毎年7月中旬に開催される祇園祭です。地元では「祇園様」と呼ばれ、日田祇園祭、中津祇園とともに大分県の三大祇園祭の一つに数えられています。2008年3月に大分県の無形民俗文化財に指定されました。

臼杵独特の御槍振りから始まる御神幸の様子や、2基の山車の囃子の違いなども見どころです。山車の囃子は祭り前の6月から練習が行われ、その迫力ある音色を聞くことができます。

うすき竹宵は、臼杵市で毎年11月の第1土曜日・日曜日に開催されるお祭りです。伝統的な城下町の景観と竹灯籠の幻想的な光が特徴です。

二王座などの歴史ある町並みに、約2万本もの竹ぼんぼりが灯され、優しい光で街全体が幻想的に包まれます。地元団体やボランティアが制作した竹のオブジェも約30ヶ所に設置され、お祭りを彩ります。

メインイベントとして、般若姫行列が行われます。これは、真名野長者※らが玉絵箱と般若姫の御霊を迎える様子を再現したものです。行列は初日に八坂神社、2日目に稲葉家下屋敷を出発します。

うすき竹宵のもよう

真名野長者伝説と臼杵石仏・・・炭焼き小五郎という若者が、顔にあざのある都の玉津姫と結ばれ、数々の奇跡によって富を得て長者となり、「真名野長者」と呼ばれるようになる物語。この長者夫婦には般若姫という美しい娘が生まれ、その美貌は都にまで伝わり、後の用明天皇である皇子と結ばれる。しかし、般若姫は皇子が都に帰った後、娘の玉絵姫を産み、自身は都へ向かう途中で嵐に遭い命を落とす。般若姫の死を深く悲しんだ真名野長者夫婦は、娘の菩提を弔うため、深田の岩崖に仏像を彫らせ、これが現在の臼杵石仏であると伝えられる。

しかし、臼杵石仏の制作年代は平安時代後期から鎌倉時代と推定されており、伝説の時代とは数百年の開きがある。一方、臼杵石仏の向かいにある「満月寺」には真名野長者夫婦の石仏が残り、室町時代から真名野長者が臼杵石仏をつくった伝説が確立されてきたことがわかる。

(右)の2体は、伝真名野長者夫婦石像
臼杵城跡から街を眺める

会社概要

名称臼杵市観光協会
本社所在地〒875-0041 大分県臼杵市大字臼杵100-2
電話0972-64-7130
公式HPhttps://www.usuki-kanko.com/
公式SNShttps://www.instagram.com/usuki kankou/
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