石垣市街地から西にレンタカーを走らせると、やがて景色はヤシの木の街路樹と宿泊施設が立ち並ぶ、リゾート感あふれるロケーションに。
左右に広がる南国の景色を抜けてさらに進むと、やがて右手に緑濃く豊かな森と、その奥へと続く趣のある参道が現れます。
その参道の先にあるのが、石垣島の人々の信仰心を集める歴史ある史跡で、お正月には大勢の初詣客でにぎわう「冨崎観音堂(ふさきかんのんどう)」です。
1.琉球王国時代より、島人が航海安全と無病息災を願った祈願所
冨崎観音堂はいくつかの移転を経て、1742年に現在の冨崎原にお堂が建立されました。
当初は海に囲まれた石垣島で、家族や仲間のために航海安全を祈る場所でしたが、現在では庶民の生活の変化に沿って、家内安全や交通安全なども祈願する、石垣島の人々の信仰を集める場所として親しまれています。
深い緑に覆われ、立派な灯篭が立ち並ぶお堂までの参道は、いわゆる沖縄の御嶽など自然信仰の聖域とは異なる趣で、より日本的な神域の空気を感じます。
2.当時の役人「西表直香」が、自らの命を守った尊い3体の観音像を安置したお堂
この地が石垣の人々の祈願所となったエピソードが、古文書に残されています。
八重山の役人だった西表直香が、沖縄本島の首里王府からの帰りの船旅で強風にあおられ、中国の福州まで流されてしまいました。
そこで偶然にも、以前石垣島に漂着し直香が救助した中国人と再会します。
そして今度は、直香が無地に石垣島へ戻れるようにと、2体の観音像を受け取ります。
▶趣のある参道
そのころ島では、直香の妻「真鶴」が夫の生還を願い、琉球王が建立した八重山最初の社寺である「権現堂(国指定重要文化財)」や、聖域の「美崎御嶽(県指定文化財)」で毎夜祈っていたところ、その姿に感銘を受けた桃林寺の住職より、1体の観音像を贈られました。
▶冨崎観音堂
直香の無事を願った人々の信心が通じ、なんとか石垣島に戻ることができた直香は、その3体の観音像を崇め奉り、その後何度かの移転を経た後に、この地にお堂を建て大切に安置したとの事です。
冨崎観音堂は、その後庶民の信仰の対象として、時代を経てなお、穏やかで平和な人々の暮らしを支える存在として、今日もそこにあるのでした。
3.レンタカーでの石垣島観光コースにも好条件の立地
そんな「冨崎観音堂(ふさきかんのんどう)」は、ホテルやグルメスポットの集中する石垣市街地からも、レンタカーで15分とほど近く、島を周遊するドライブ観光の際に立ち寄りやすい場所にあります。
近隣には人気の「フサキビーチ」や、「琉球観音崎灯台」「唐人墓」「名蔵アンパル」などの観光スポットもまとまってあり、短い時間でのスポット巡りにもおススメです。
海や自然とはまた一味違った、石垣島の歴史を肌で感じる史跡スポット「冨崎観音堂(ふさきかんのんどう)」です。
Photo&text:緑川 徹也
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