那覇空港から車で約1時間。
美しい海岸を眺望する糸満市摩文仁の丘に広がる「平和祈念公園」。
園内は4つのゾーン(霊域ゾーン・平和ゾーン・園路広場ゾーン・平和式典ゾーン)に分かれています。
沖縄県平和祈念資料館や沖縄平和祈念堂などがある平和ゾーンには国内外の見学者をはじめ、平和学習を目的とする学生や全国からの慰霊団が多く訪れています。
他にも、多目的レクレーション広場がある園路広場ゾーンは地元の人のやすらぎの場として利用されています。
1.平和祈念公園ってどんなところ?
糸満市の自然豊かな土地にある広大な公園は、第二次世界大戦最後の地上戦があった場所、沖縄戦終焉の地に作られました。
平和祈念公園に入ると沖縄の美しい青い海を望め、花と緑に彩られた約40ヘクタールもの園内には、忘れてはならない歴史が刻まれています。
園内を散策すると、鎮魂、祈り、平和をテーマに国立沖縄戦没者墓苑や礎があり、平和祈念堂・平和祈念資料館を通して、命の尊さを感じられます。
2.行く前に知っておきたい!沖縄戦について
沖縄戦とは、第二次世界大戦末期の1945(昭和20)年に沖縄で行われた日本とアメリカ(連合国)による戦いのことです。
同年3月26日の米軍上陸後、多くの住民を巻き込んだ凄惨な地上戦が沖縄本島で繰り広げられ、第32軍の司令官だった牛島中将が糸満市摩文仁で自決したとされる、6月23日に組織的な戦闘は終了したといわれています。
沖縄戦による両軍と民間人の戦没者は24万人余りといわれ、日本の歴史の中でも類を見ない悲惨な戦いとなりました。
3.平和祈念公園の見逃せない7つのポイント
広大な敷地を誇る平和祈念公園を訪れる際に、必見の7つのポイントがあります。
国立沖縄戦没者墓苑
国立沖縄戦没者墓苑は、沖縄戦で亡くなった住民や軍人の御遺骨を納めた墓苑で、参拝所には赤い屋根が使われています。
沖縄県内の戦没者の遺骨は、戦後、生活の復興と同時に住民の手によって収骨され、各地に納骨所、慰霊塔が建立されました。
その後、日本政府が委託建設した中央納骨所に整備統合されたのち、戦没者を永く追悼するために建てられたそうです。
納骨堂には約18万余柱の遺骨が納められ、毎年多くの参拝者が訪れています。
各都道府県沖縄戦関係慰霊塔エリア
ここには、32府県や各種団体の慰霊塔・碑が50基も建立されており、全国からの慰霊団や国内外の観光客、修学旅行生などが献花に訪れます。
また、第32軍司令官牛島中将の自決壕もあります。
沖縄県平和祈念資料館
沖縄県平和祈念資料館は沖縄戦の実際のありさまや教訓を後世に正しく継承するために、2000(平成12)年に開館しました。
赤瓦の屋根は、沖縄の伝統的な集落をイメージしているそう。
常設展示室は、沖縄戦の道、鉄の暴風、地獄の戦場、沖縄戦の証言、太平洋の要石の5つのテーマで構成されています。
第4展示室では、沖縄戦の体験を証言集と証言映像で展示。
亡くなった家族や友人の無念さを代弁しています。
証言本と同じ内容を読める、タブレット型端末。
地図、当時の年齢、地域、用語などから選択できます。
悲惨な沖縄戦を体験した人びとの証言をまとめた1000件以上の証言映像が閲覧でき、タッチパネルを用いて当時の年齢や体験内容、地域などから検索できます。
平和学習で訪れる学生や海外からの見学者が多いことから、公開されている証言映像の中には、日本語の他、英語・韓国語・中国語・スペイン語に翻訳されているものも。
また、展望塔からは平和の礎の全景を眺められます。
沖縄平和祈念堂
1978(昭和53)年に世界平和を願い開堂。
このような悲惨な戦争を二度と繰り返してはならぬよう、世界の人種や国家の思想が込められています。
堂内では、沖縄の摩文仁の丘や沖縄の草花、沖縄の神事など、沖縄を題材に描かれた20点の連作絵画も展示されています。
そのなかでも、存在感がある高さ約12mの「沖縄平和祈念像」は沖縄が生んだ傑出した芸術家・山田 真山(やまだ しんざん)画伯が18年余りの歳月をかけて原型を制作したもの。
宗教や思想、政治や人種、あるいは国を超えてすべての人が戦没者の慰霊と平和の一点に力を合わせていこうという思いが10本の指を合わせた合掌の形で表現されています。
清ら蝶園
沖縄平和祈念堂の奥へ進むと、オオゴマダラ飼育蝶園の「清ら蝶園」があります。
南国の植物にオオゴマダラの黄金のサナギがぶら下がり、羽化した蝶が羽を広げてヒラヒラと舞います。
蝶は、ギリシャ語でプシュケといい「魂」という意味があるそう。
ここで育ったプシュケが、戦没者の魂を追悼し、平和祈念像の使者として、平和を静かに訴えているようです。
平和の礎(平和の火)
1995(平成7)年6月23日に太平洋戦争・沖縄戦終結50周年記念碑として「平和の礎(いしじ)」が建設されました。
平和の礎には、国籍や軍人、民間人を問わず沖縄戦で犠牲になった24万人余りの氏名が刻まれています。
現在でも、毎年追加刻銘が行われているそう。
刻銘碑は、平和の広場を中心にして放射状に円弧の形で広がりを持って配置されています。
また、沖縄戦で米軍が最初に上陸した座間味村阿嘉島で採取した火に、被爆地である広島市の「平和の灯」と長崎市の「誓いの火」の三つを合火して灯しています。
平和の火の中央噴水から水が池に落ちているデザイン様式は、鉄の暴風の波濤(はとう)が、平和の波となって、わだつみに折り返して行く様子を表し、「平和の波永遠なれ(Everlasting waves of peace)」というコンセプトのとおり、世界平和が広がりますようにという願いが込められています。
平和式典ゾーン
毎年6月23日の慰霊の日には内閣総理大臣をはじめ、国内外から多くの関係者が参加して、沖縄全戦没者追悼式が開催されます。
一般焼香も可能です。
この日は沖縄県にとって特別な日で、公休日として定められ、国の機関以外の役所や学校が休日となります。
園路・広場ゾーン
年齢に合わせて遊べる遊具があり、休日にはピクニックやレジャーを楽しむ人で賑わいます。
平和祈念公園は世界平和を祈念し、平和を発信する施設ですが、地元の人のやすらぎの場でもあります。
未来を担う子どもたちへ「平和とは」について伝え続ける平和祈念公園へ足を運んでみませんか。
Photo:藤井 千加
Text:平良 美由紀
(取材:2024年2月)
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