国指定重要文化財「中村家住宅」

沖縄本島中部の北中城村(きたなかぐすくそん)には、今から約280年前の沖縄の古の時代「琉球王朝時代」につくられたといわれる国指定重要文化財の中村家住宅があります。

時代の変遷や戦火をも乗り越え、屋敷構えがそっくり残っているという大変貴重な建物で、上層農家の生活を知る上でも貴重な遺構ということから、昭和47年に国の重要文化財に指定されました。

住宅の屋根や石垣、瓦、道具など、中村家住宅には見学ポイントが多数ありますが、今回特別にガイドの山下 幸二(やました・こうじ)さんがみどころを紹介して下さいました!

1.まずは家の外を探検!場所によって異なる石垣や瓦や模様が面白い

ガイドの山下さんです。

「神出鬼没ガイド」として中村家住宅を約30分で案内しているそうです。

今回取材ながらキャッチすることができました。

ラッキーです!

山下さんが最初に案内してくれたのは、屋敷を囲む石垣(いしがき)。

沖縄の石積みは代表的なものに「野面積み」「布積み」「相方積み」の3種類がありますが、中村家住宅はどれか1つという事にはとらわれないチャンプルー(ごちゃまぜ)の石積みになっているのだそうです。

この写真の中には石でつくられた花模様がありますが、お分かりでしょうか?

また、中村家住宅の石垣には穴が多いことも特徴の1つ。

山下さんは「戦国時代であれば、敵が指や足をかけて侵入してこないように穴をつくらなかったと思いますが、中村家住宅の石垣は穴が多いので、平和な時代につくられたのかもしれないですね。デザインとでもいうでしょうか」と微笑みます。

屋敷の入口の石垣の高さが左右違うところも見どころポイント。

屋敷正面からパッと見るとなかなか分かりづらいですが、遠くから見たり、近くから見たり裏から見ると、なるほど納得!これも「非対称という琉球の美的感覚」なのだと教えてくれました。

屋敷に入るとドーンと目の前に現れる壁は「ヒンプン」。

沖縄の古い屋敷にはよく見られる目隠しや魔除けのような役割のものですが、中村家のヒンプンはだいぶ重厚で横に長い!

ヒンプンの割れ目からは、ヒンプンがどうやってつくられているか少し垣間見ることができるので、ぜひ隙間を探してみてください♪

さらに屋敷に入っていくと、右手に「アシャギ(離れ座敷)」が見えてきます。

その隣には「主屋(おもや)」。

アシャギは琉球王国の役人を接待したり、お役人の宿泊場所として使われていたといわれており、母屋は主に中村家の家族が生活していた場所。

見どころポイントは「軒先瓦(のきさきがわら)」と「軒裏(のきうら)」。

アシャギの軒先瓦は、デザイン性の高い「花瓦(はながわら)」と「髭瓦(ひげがわら)」が使われています。

「アシャギは、首里城や神社などで使う質の高い瓦を使い、百姓が住む母屋と差別化しています。こういう細かいものが残っているのが、中村家住宅のとても面白いところです。僕はこのアシャギのことを『迎賓館アシャギ』と愛称で呼んでいます(笑)」。

百姓とお役人さんがいる場所を差別化していたものの、軒裏の木材を見ると、現代では百姓の母屋の軒裏のほうが貴重だったりするとか。

とてもユニークな箇所なので、筆者は感嘆の声を上げてしまいました。

ぜひ読者の皆様も現場で確認してみてください♪

2.家のなかは見どころいっぱい!アシャギから一番座~台所まで一気に

今度は家のなかを探検!

まずは、母屋の一番座から。

一番座とは床の間付きの客室で、掛け軸や壺などが飾られていたりと、家にお客さんが来た時にもてなす場所です。

「まずは一番座に座ってみてください」と山下さんにオススメされて座ってみたら、なんとも心地の良い上質の空間。

吹き抜ける風がとても気持ちのいいこと!

一番座でおもてなしされていたお客さんや住んでいた人の気分が味わえるような場所です。

「見るのと座るのとでは、全然雰囲気が違いますでしょう?

この家は、約40年前まで中村さんが実際に住んでいた家ですが、一番座からの風景は本当にオススメです」。

中村家住宅を訪れたらば、この一番座に座って、ゆったりと風景を見てみてください。

琉球王朝時代の上層農家の気分を味わえるかも♪

寝室や収納などがある家の「裏座(うらざ)」からは、豪華な庭が見渡せます。

曲線を描く庭のつくりなど、これだけ建築技術が高い立派な庭はなかなか見かけませんので、中村家がいかに上層農民だったか伺い知ることができます。

こちらは一番座の裏座の柱。

「中村さんは家をつくるとき、那覇で空き家を解体して古材を引き取って移築したと伝承レベルで残っているのですが、この柱などは、その時に首里(しゅり)の士族の家屋から引き取った古材の1つといわれています。もし、その空き家やこの古材が那覇に残っていたら、朽ちて無くなるか沖縄戦で燃えてしまった可能性もあります。中村さんがこちらに移築したおかげで、古材は生き残ることができました。歴史を感じられる面白い場所です」。

ほかにも中村家住宅は戦時中、米軍の司令部の1つとして使用されたということもあり、家が燃やされたり壊されたりすることなく、運良く残ったという家だと教えてもらいました。

調理をするトゥングワ(台所)です。

土間の上はロフト型の薪(まき)置場となっており、これは、高温多湿の沖縄では薪が乾燥しづらいため、かまどの上に薪を置き、火から出た煙で薪を乾燥させていたそうです。

昔の人々の生活の知恵が台所にも光ります。

亀の甲羅のような模様をしているのは「薪割り場」。

家の中にあるのは大変珍しいそうです。

「薪割りはいくらでも外でできるのに、家の中につくったのが面白いところ。使用人などが薪割り作業をする時に雨風をしのげて、日陰で作業ができるよう中村さんが配慮したのではないかと思っています」と山下さん。

「台所におかれている『火の神(ひのかん)』は、今でも沖縄の家で行われている信仰です。旧暦の1日と15日に天の神様にお家のことを報告しますが、私はこの場所のことを、天の神様への『公衆電話』だと例えています(笑)」。

台所の端には、料理で使っていたカゴなどが置かれています。

昔の沖縄の家にはそう珍しくなかったものが、現代では貴重品!

見るだけでも大変楽しいですよ。

3.農家の衣食住を支える高倉や家畜小屋~中村家住宅の1番の映えスポット

こちらは高倉。

穀倉と作業部屋を兼ね備えており、ネズミが穀倉にはいれないように工作された「ネズミ返し」もあります。

作業部屋は、現在は見学者が楽しめるように物置部屋となっており、小学生の社会見学などでも利用できるよう、昔の古い道具や漆喰(しっくい)シーサーなどが置かれています。

「(中央にある)漆喰シーサーは、中村家住宅の屋根にあった先代シーサーなのですが、屋根瓦をつくったときの赤瓦と漆喰の余り物を使って大工の棟梁さんがつくったものです。屋根シーサーは棟梁の腕が分かるものなので、棟梁にとっては、自分の腕を見せて仕事を増やせる看板広告みたいなものなんですよ(笑)」。

山下さんによれば、中村家住宅の敷地内には約30体のシーサーがあちこちに置かれているそうなので、ぜひあなたのお気に入りのシーサーを見つけてみてくださいね♪

さて、こちらは打って変わって「フール(豚小屋)」。

3ヶ所のフールには全て人間のトイレもあり、豚に人間の大便を食べさせていたそうです。

「当時の沖縄の人たちはほとんど肉を食べておらず、芋とか粟を食べていたのでキレイなんですよ。高温多湿の地域では、排泄物を豚に食べさせていた文化が実際にありましたし、逆に排泄物を取っておくと虫が湧くので、素早く豚に食べさせたほうがいいいんです。大便が遅いと、下から豚につっ突かれたという話もあります(笑)。 豚はキレイ好きなので、おかげでトイレが衛生的にキレイに守られたので、豚は『トイレの掃除屋』さんなんです」。

中村家住宅には、豚の他にも牛小屋、馬小屋、ヤギ小屋と各家畜の小屋(メーヌヤー)もありました。

これも農民の家では大変めずらしいそうです。

「生活排水は、最後はため池に流れていたんです。生活排水をもムダにしないという設計なのですが、これは沖縄の300年前の民家レベルの設計技術ですので、沖縄の衛生意識と石の技術はトップクラスだったんですよ」。

現代人の私たちは、ここまで生活用水を大切にするでしょうか?

とても感慨深いエリアを拝見いたしました!

取材の最後に、山下さんが見せてくれたのは、屋敷の外周をぐるっと回りながら散歩ができる「回遊式庭園」。

ここは、家の持ち主の中村さんがサービス精神で後からつくったという庭園だそうですが、これまた貴重な風景にたくさん出会いました!

きょう1番の映えスポットはコチラ!

美しすぎて言葉が出ませんでした。

中村家住宅は、約280年前の上層農家の屋敷構えがそっくり残っている貴重な文化財ということだけでなく、琉球王朝時代の農民の生活や道具、想いなどが垣間見られる上、ハイビスカスやツツジ、ツワブキ、ソテツなど、沖縄の花や植物にもたくさん出会うことができます。

ぜひ琉球王朝時代の農民の生活ぶりや屋敷を見たい方は、ぜひ訪れてみてください♪

◆おまけ

今回偶然にも、屋根をお直しする職人さんの姿を見ることができました。

いつでも見れる風景ではないのでラッキー!

Photo&text:小鍋 悠

(取材:2024年2月)

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